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こんにちは、出版社勤務のかんらくです。

編集部時代、新刊企画のために、いろいろと歴史の偉人を研究しました。ビジネス書によく登場する徳川家康のエピソードも、よく集めたものです。

そうすると、イメージとは違う意外な人間性が見えてきました。

 

やや精神論になりますが、きっと家康の根底にあったであろう組織作りに対する思いを、せん越ながらひも解いてみたいと思います。

それは、現代の会社経営、組織作りにも重要な精神に違いありません。

徳川家康は、実はとことん部下を大切にした

徳川家康といえば、豊臣家を容赦なく殲滅したちょっと残酷なイメージがありますよね。史実を見ると、たしかにそういう面もあったのだろうと思います。

しかし、腹黒いたくらみだけで、250年も泰平が続く幕府の基礎を築けたはずがありません。

調べてみると、家康は家康なりに、根本的には人を大切にして、徳川家臣団を育成し、江戸幕府の基礎を築いていたことがうかがえるんです。

家康のイメージがかわる逸話を3つ紹介します。

1.人を大切にしない組織は弱いと、9歳の家康は見抜いた

有名な話ですが、家康がまだ竹千代と呼ばれていた9歳の頃、今川家の人質として生活していました。

これは私が小学校の頃に読んだ、偉人伝の記憶によりますので細かいところの差異はご容赦ください。

ある日、竹千代はお供の者と安倍川の石合戦を見物に行きました。片方は100人、もう片方は50人のチームです。

 

 

どちらが勝つか、と尋ねるお供に、竹千代はしばらく二つのチームを観察したうえで、「50人の方が勝つ」と答えました。

供の者は驚きました。どう見ても倍の戦力の100人チームが勝つと思えたからです。

しかし果たして結果は、竹千代の予想通り、50人のチームが勝利をおさめました。

「なぜ分かったのか」といぶかるお供に、竹千代は明快に答えます。

「100人の組は、数をたのんでいるから団結がなく必死さもない。ケガをした者があっても手当てもせず、放っている。一方、50人の組は一人一人が真剣だ。お互いに協力して、ケガをしたら手当てをしてかばいあっていたからだ」

人を大切にしない組織は、結束がなく、数があっても力を発揮できないことをわずか9歳で感じ取っていたのです。恐るべき子供です。

 

2.若き日の家康は部下を護るために、三千の兵で二万の軍勢に突撃した

家康が若い頃の話です。三河の拠点の一つ、一宮城を隣国の今川氏真に二万の軍勢をもって包囲されました。

城は、本多百助という家臣に守りを命じていましたが、城兵はわずか五百人。風前の灯でした。

知らせを受けた家康は、百助を救出するために自ら三千の兵を率いて岡崎城から出撃しようとしました。

しかし、周囲の家臣たちは必死に止めます。二万の軍勢に三千の兵で突撃するのは自殺行為だからです。周りの家臣たちからすれば、主君の命にはかえられない。百助ら五百人の命はあきらめるよう、必死に説得します。

家康は、周りの制止を振り切って、叫びました。

「何を言うか。百助に、城を守るように命じたのは、オレだ。百助は約束を守って必死に戦っている。助けに行くのが当たり前ではないか。信義に欠けた言動をとっては、武士の資格がない。敵の数に驚いて、仲間を見殺しにできるとでも思っているのか。もし救出に失敗し、討ち死にしたら、それも天命。この家康、信義を守るために死ぬならば本望だ」

家臣たちは感動し、伝え聞いた現場の兵士まで感極まって涙を流したそうです。

その結果、味方の士気は一気に上がり、家康の一軍は、見事に敵の包囲網を突破し、城内の五百人を救出し、岡崎城へ無事帰還を果たしたのです。

かっこいいですね。冷静で非情なイメージの強い家康ですが、一兵一兵にいたるまで、大切にしていた熱い上司像が浮かび上がってきます。

 

3.「私の宝は五百人の部下たちです」と秀吉に、サラリと答えた

これは、後年の話です。ある時、関白・豊臣秀吉が、諸大名の前で、「わしは、天下の有名な宝を、ほとんど集めた」と言って、刀や茶碗の名を挙げ、宝自慢を始めました。

やがて、家康に向かって、「そなたの、秘蔵の宝物は何か」と問いました。家康は、こう答えています。

「ご存じのように、私は三河の片田舎で育った武骨者ですから、珍しい宝物は持っておりません。ただし、私のためならば、火の中、水の中へも飛び込み、命がけで働いてくれる部下を五百人ほど持っております。

この五百人を召しつれると、天下に恐ろしい敵はありませんので、この部下たちを第一の宝と思って、平生、秘蔵しております」

この回答には、さすがの秀吉も赤面して、一言も返事ができなかったといいます。

 

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ダーティに見える家康の一面も、部下や領民を守るためだった

史実をひもとくと、一般的な家康のイメージとは少し違う、人を大切にする上司像が伝わってきました。

もちろん、天下統一までは群雄割拠の時代でしたから、外に対しては謀略を駆使したこともあるでしょう。

しかし、それも自分の領民や部下や家臣を護るためだったのかもしれません。内に対しては、本当に人を大切にして、組織をつくっていたのだと思います。

もし、力によって従わせる国家であったら、裏切りや謀反が必ず起き、江戸という時代は、そう長くは続かなかったはずです。

こういう人を大切にするスピリットをもって国作りをしたので、家臣の反乱もなく、町民文化は花開き、250年という世界でも異例の天下泰平が続いたのではないかと思います。

そして、家康の下にいた家臣達は、きっとやりがいをもって、生き生きと働いていたと思います。

社員を大切にする会社が結局、生き残る

現代においても、同じ働くならやはり、社員を大切にする会社で働きたいものです。そうでないと、働きがいもなく、毎日が、楽しくありません。

「それはそうだけど、何を基準に、社員を大切にする会社を判断すればいいの?」と、思いますよね。

そこで、その指標となる本を紹介します。

 

『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』です。

第1章 23年連続黒字は社員のモチベーションが10割!

第2章 10年以上離職率ほぼゼロ! 人が辞めない仕組みはこうつくる

第3章 第1子妊娠・出産で女性社員が退職した例は「ゼロ」

実際に読んでみると、ここまで社員の立場に立って考えるのかと、驚きます。

近藤社長は、「会社は社員を幸せにするためにある。そのために、会社も利益を上げる」という、経営者としての理念がハッキリしているんです。

ここまで「社員ファースト」を徹底している企業は滅多にないと思いますが、もし、「今、自分が働いている会社はブラック企業ではないか」とか、「他の会社もこんなにひどいんだろうか」と疑問を抱いているとすれば、ぜひこの本を一度読んみることをおすすめします。

比べることで、自分が働いている会社を客観視するきっかけになると思います。中には、「会社は利益を上げるためにある。社員はそのための駒である」と考えている経営者も、なくはないのです。

根本的に、人を大切にしない会社で働き続けることは、ストレスにしかなりません。

心身をすり減らし、自分も周りも不幸にしていきます。会社を変える、働き方を見直すという選択肢もあるわけです。

そういうことを考えるきっかけになればうれしいと思っています。

 

よき経営者になって、地方で活躍するという選択肢

この記事を読んでくださっている方の中には、家康のように、企業を経営する立場の方もあると思います。

経営者として、より活躍できる場を求め、都会を離れて、地方(地元)で働くという選択肢もあります。

株式会社日本人材機構が、地方企業向け人材紹介サービスを行っています。

 

 

関心がある方は、こちらからアクセスしてみてください。

新しい第2の人生が始まるかもしれません。

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