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こんにちは、年間100本超えの映画好き、かんらくです。

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で、30年ぶりに「ラストエンペラー」を観ました。

 

20年経っても消えないラストシーンの余韻

初めて観たのは中学2年生の時、映画館が満席で立ちながら鑑賞したのを覚えています。

歴史的知識がなく、正直、よく分からなかったのですが、ただ一つ、ラストシーンが謎めいていて、それがずっと忘れられませんでした。

今回、自分なりにその謎が解けたと思ったので、見解を述べたいと思います。

 

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中国最後の皇帝の物語

そもそも「ラストエンペラー」は、中国(清)最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかぐらふぎ)の生涯を描いた作品です。

アカデミー賞9部門を総なめ

1987年、イタリア、中国、イギリスの共同で製作され、作品賞を始め、アカデミー賞9部門のタイトルを総なめにした傑作です。

坂本龍一も陸軍役で出演し、音楽も手がけているので、日本でも大変話題になりました。

 

「ラストエンペラー」あらすじ

西太后が崩御し、わずか3歳の溥儀が、皇帝に即位するシーンから始まります。

その後、激動の歴史に翻弄され、皇帝から戦犯、一般庶民の庭師まで経験する波乱万丈の人生を送ることになるのです。

あらすじをこちら(現在は閉鎖)から引用します。

1950年、満州国戦犯として中国本土に護送された元満州国皇帝・溥儀(ふぎ)は、両手首の血管を切って自殺を図る。薄れゆく意識のうちに、まざまざと過去の情景がよみがえる。

1908年、死期の迫った西太后によって皇帝に任命された3歳の溥儀は1000人もの宦官にかしずかれて昔ながらの生活を送る。

14歳の時、イギリス人のジョンストンが溥儀の家庭教師となり、溥儀の目を世界に向けさせた。やがて溥儀は、婉容(えんよう)を皇后に文繍(ぶんしゅう)を后に迎えた。

1924年、ついに溥儀らは馮玉祥(ひょうぎょくしょう)軍によって紫禁城を追放される。その後、溥儀は日本軍に利用され満州国の傀儡(かいらい)皇帝となる。戦後は戦犯として9年間の囚人生活を送り、最後は植物園の園長として生涯を閉じる

彼ほど時代に翻弄された人物は、歴史上いないのでは、と思うほどです。

 

ラストシーンにつながるコオロギの伏線

冒頭の溥儀の即位式のシーンで、ラストにつながる重要な伏線があります。

即位の儀式に退屈して、じっとしておれない溥儀に、家臣の一人が、気を紛らわすために生きたコオロギを小さな筒に入れて渡します。

 

 

このコオロギが、ラストシーンで重要な役割を果たすんです。

 

そして名作たらしめたラストシーンへ

清朝の皇帝→戦争犯罪人→満州国の皇帝→植物園の園長とまさに激動の人生を送り、一般庶民となった溥儀は、ある時、懐かしさにひかれて紫禁城へ赴きます。

かつて自ら玉座についた紫禁城も今や観光スポットとなっています。

玉座へあがろうとする溥儀に

懐かしそうに、玉座へ上がろうとする溥儀に、少年が駆けつけてきて、「僕は守衛の息子だ。そこへ入っちゃいけないんだよ」と注意します。

 

 

すると溥儀は、「私もかつて、ここに住んでいた」と答えます。

問いつめる少年

「証拠は?」と問いつめる少年に、溥儀はにっこり笑って、玉座の下から、小さな筒を取り出すのです。

そう3歳の即位式で家臣からもらった、あの筒です。

少年は不思議そうに

筒を手渡された少年が不思議そうにフタを開けると、なんと中からコオロギがピョンと飛び出してきたのです。

少年が顔を上げると、そこにはもう溥儀の姿はなく、観光客がどっと押し寄せてきました。

一般的な解釈

なんとも象徴的なシーンで、コオロギがそんなに長く生きているはずがないですから、何らかのメタファーであることは間違いありません。

一般的には、このシーンの意味をこう解釈されているようです。

コオロギの意味

こちらのサイトで分かりやすく解説されていました(現在は閉鎖)。以下に引用します。

即位式の時に臣下からもらったコオロギとその入れ物は、コオロギが溥儀を(あらわし)、入れ物が監禁場所を象徴している。(中略)

人民帽をかぶった守衛の子供は、まだ建国間もない中華人民共和国の象徴であり、清朝最後の皇帝であった溥儀がその子に玉座の前で入れ物を手渡わたすことで時代の流れを示し、子供が振り返った時に溥儀がいなくなったことで、溥儀が帰らぬ人となり、天に召されることで、監禁場所からやっと出ることができたことを非常にうまく表現したシーンとなっている。

こちらの記事にも同じ趣旨で分かりやすく解説されていました。

もちろん、一匹のコオロギが60年以上も缶の中で生き続けるわけがない。

ベルトルッチは、長いあいだ閉じ込められたコオロギが外に出る姿に、溥儀の本当の解放を重ね合わせたのである。

紫禁城から天津の租界地、満州、収容所と、溥儀は半生を幽閉されたまま過ごした。

収容所から出たあとも、思想想教育で無理に考え方を変えさせられたのだから、本当の解放感はなかっただろう。

かつての総監の変わり果てた姿を目にした時に、初めて溥儀はすべての束縛から自由になったのである。

コオロギはその比喩にほかならない。

つまり、コオロギは溥儀自身を表し、筒から出ることは束縛から解放されたことを表現しているということです。

守衛の子供が、建国間もない中華人民共和国を表しているという見解は、なるほどな〜と思いました。

納得の謎解き

私もこの謎解きには、納得しました。

納得しましたが、あえて私は別の読み解きをしてみました。

私はこう読み解いた

今回、30年ぶりに鑑賞した時に、中国の故事「一炊の夢」に構成が似てるなと思ったんです。

一炊の夢は、立身出世を夢見ていたロセイという青年が、たまたま宿屋で出会った老人に相談したところ、枕を渡されて寝ている間に立身出世から失脚まで、栄枯盛衰を経験して目が覚める話です。

ポイントはきび餅

ポイントは目が覚めた時に、老人が蒸していたきび餅が、まだ蒸しあがっていなかったというところです。

コオロギといえば、儚い命の象徴です。上でも書きましたが、3歳の溥儀が受け取ったコオロギが60年以上も生きているはずがありません。

溥儀はまさにロセイ

その間に、溥儀はまさに、「一炊の夢」のロセイのように、頂上からどん底まで栄枯盛衰を味わい尽くしました。

まるで史実で表した「一炊の夢」だなと思ったのです。

コオロギの命のように

波乱万丈の溥儀の生涯も長いようだけど、本当はコオロギの一生にも満たない、一瞬の夢のような、はかないものだということを表しているのではないでしょうか。

そう、ちょうどロセイの栄枯盛衰の体験が、きび餅が蒸しあがる間もない一炊の夢であったように。

違うとすれば、幻のように消えたのは、映画では、溥儀自身のほうであったということだけ・・・。

そう思うと、あっと言う間の人生、何が大切なのか、いかに生きるべきかを考えずにおれなくなりますね。

ベルトルッチ監督が、公式にコメントしていないので、本当に意味するところは知るよしもありません。

 

 

いろいろな解釈があってこそ

だからこそ、いろいろな解釈が成立して面白いのだと思います。

ぜひまだ鑑賞してない方も、昔鑑賞した人も、どちらの解釈に共感するか、そんなことを意識しながら観てみると、まったく違った味わいができるかもしれません。

U-NEXTでも鑑賞できる

「ラストエンペラー」は現在、動画配信サービスのU-NEXT

でも鑑賞できます。(2023.4.1時点)

ぜひ、ご覧ください。

ちなみに、ラストエンペラーのこのメッセージは、昔話の「浦島太郎」にも通じるんですよね。

もし、関心のある方は、こちらの記事もお読みください。

結局、浦島太郎の教訓って何?

 

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