スポンサーリンク

 

こんにちは、出版社営業部員のかんらくです。

ミリオンセラー『嫌われる勇気』の続編、『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』を読みました。

 

『嫌われる勇気』は、以前に読んだのですが、続編は第1弾の大ヒットに乗じた出版社の都合で作られた本じゃないかという先入観が働いて、なんとなく敬遠していました。

しかし、『嫌われる勇気』を担当した天才編集者から、第2弾もその人が編集を担当したことを聞いて、早速読んでみました。

 

青年はアドラーと決別するために、再び哲人を訪ねた

前作でアドラーの教えに開眼した青年が教師となり、再び哲人のもとを訪ねた目的は、アドラーとの決別を告げるためでした。

設定がエキサイティングです。

実際には、こう書かれています。

結論から申し上げると、アドラーの思想はペテンです。とんだペテンです。

いや、それどころか、害悪をもたらす危険思想と言わざるをえません。

先生が勝手に信奉する分には自由ですが、できれば 金輪際、口をつぐんでいただきたい。

その思いを胸に、そしてあくまでもあなたの目の前でアドラーを打ち捨てるべく、今宵最後の訪問を決意したのです。

改めて、ライターの古賀さんって、文章うまいな〜と思いました。

言葉のチョイス、ストーリーの設定、展開がお見事です。

読後、心に残っているキーワードは、教育、共感、尊敬、信頼、自立、愛です。

 

スポンサーリンク

「幸せになる勇気」名言を集めてみた

前作以上に高次元の哲学なので、全体像を総括するのは難しいですが、心に残った名言を集めてみました。

われわれに必要なのは、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」 だ

青年は、教育の現場では、アドラーの教えは無力だったと断じます。

それに対し哲人は、子どもを一人の人間として、尊敬することが大事だといいます。

そのためには、「他者の関心事」に関心を寄せることだと。

では、彼らはなにを見ているのか? まずはそこを理解することからはじめるのです。

これこそが、「共感」だと、哲人はいいます。

世間一般で考えられている共感、つまり相手の意見に「わたしも同じ気持ちだ」と同意することは、たんなる同調であって、共感ではありません。

共感とは、他者に寄り添うときの技術であり、態度なのです。

他者の関心事」に関心を寄せるのです。距離をおいて眺めているだけではいけない。

自らが飛び込まなければならない。

飛び込むことをしないあなたは、高いところに立って「それは無理だ」「これだけの壁がある」と批評しているだけです。そこに尊敬はなく、共感もありえません。

共感の第一歩は「他者の関心事」に関心を寄せることだ。

次は、耳の痛い言葉です。

上司と部下の関係に置き換えれば、会社組織にも通用します。

あなたは生徒たちに自立されることが恐いのです。

さらにもうひとつ。

子どもたちが失敗したとき、特に他者に迷惑をかけたとき、当然あなたもその責任を問われます。

教育者としての責任、監督者としての責任、親であれば親としての責任。

どうすればその責任を回避することができるか? 答えは簡単です。

子どもを支配することです。

子どもたちに冒険を許さず、無難で、怪我をしないような道ばかりを歩かせる。

可能な限りコントロール下に置く。子どもたちを心配して、そうするのではありません。

すべては自らの保身のためです。

だからこそ、教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならないのです。

子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助するのです。

たとえその決断が失敗に終わったとしても、子どもたちは「自分の人生は、自分で選ぶことができる」という事実を学んでくれるでしょう。

このような教育に関する斬新な議論に始まり、共同体感覚、愛へと話が進んでいきます。

キーワードは人間関係で、幸福は人間関係によってのみ得られるという考え方は一貫しています。

 

一度では消化しきれない、繰り返し読むべき哲学書だと感じました。

天才編集者から直接聞いた、『嫌われる勇気』が大ヒットした本当の理由は、こちらの記事に書きました。

 

 

スポンサーリンク